02日 2月 2019
オドアルドが年末既に済ませたラクイラ市への後援申請と文化担当議員とのアポイントを確認に出向いた後、待機状態に入りました。 日本なら電話やメールで数分で済ませ、数日待つかまたないかで返事が来るものが、こちらでは何度も実際出向かないと忘れられてしまいそうです。 滞在中の友人宅に帰る途中目に入ったのは州庁舎。こちらの手続き準備も進んでいるのは知っていましたが、どうせまた何度も行くなら暇な時に、と思い立ち訪ねてみることにしました。 誰かいないかと電話であちこち探してくれる警備員のおじさん。 やっと見つけてくれた職員の女性はとても親切で、ついでに相談した交流会の場所探しも手伝ってくれます。 手続きを教わり、帰宅早々メールで企画書添付のメッセージを送ってから10日弱で、早くも承認のメールとロゴが送られてきました! あれ、まずはメールで申請フォームが返送されてくるはずでは?? 「間もなく州知事選だから急いでいたんだよ。」 イタリアの"臨機応変さ”が珍しく良い面に機能した一件でした。
01日 2月 2019
「サン・ベルナルディーノ賛歌」と一緒に全体合唱で歌うのが日本人なら一度は聞いたことのある「ふるさと」です。 ピアニストの舞美さんがアルファベットを加筆してくれた楽譜を渡したのは9月のこと、今になって「一度読んで見て」「どういう意味なの?」と慌てる指揮者たち。 練習に参加して発音を訂正したり歌ってみせたりしますが、お年寄りたちは好奇心も向上心もいっぱいで、耳で覚えるメロディーを上手に歌っています。 そもそもイタリア語と日本語は発音がほとんど同じだから覚えやすいのです。 そして2度目、私が指揮者に送信しておいた訳詞をもらう前から様々な手段で調べてきた人たちが教えあっています。 「日本の歌だけど、気持ちは同じね。遠い国にいる親戚が故郷を懐かしがって同じことを話しているわ。」 そう話しかけてきた老婦人もいました。 歌を通して、繋がり始めている感覚。 3月に120人ほどで歌う「ふるさと」はどんな演奏になるのでしょう。
31日 1月 2019
2014年夏に入会したアブルッツォ州キエーティに本部を置くGiappone in Abruzzo協会はとてもきっちりした団体です。 入会手続きからして「日本在住なら会費の話は後でいい、まずは日本語でもいいからアブルッツォに興味を持った経緯や今後どのような活動をしたいと考えているのか書き送ってください」とのお返事。 元々キエーティ市と南島原市の姉妹都市計画を支援するために設立されたGiappone in Abruzzo協会は、東京外語大学で30年以上イタリア語教育に携わり錚々たる顔ぶれの元教え子の方々を送り出したマリーサ・ディ・ルッソ教授が会長を務めます。 須賀川市とファーラF.P.との交流を常に後方支援し、今回のラクイラ計画も神父探しで活躍してくれた副会長クラウディオが当初から関わっていました。 そしてラクイラで市に提出するための様々な書類手続きを地道にこなしてくれているオドアルドもマリーサ教授から紹介された協会員です。 今回は聖堂や展示会場のPalazzo dei Nobiliを借りるために主催団体の署名が必要だとのことで、重役会議が重ねられ、承認が下りたのです。
25日 1月 2019
Fara F.P.合唱団の指揮者2度目で二年ぶりのラクイラ合唱団訪問です。 前日になって時間の変更やら何やらで気を揉みましたが蓋を開けてみれば真剣な話し合い。 2名の団員幹部同行で1時間も早く到着したFaraのマエストロと、斉唱だった『サン・ベルナルディーノ賛歌』を三部合唱に編曲して持参したラクイラのマエストラ。お互い伴奏でどんな楽器が入るか話し合っています。2-3台のアコーディオンと2台のヴァイオリン、マンドリンにギターなどなど。 そんなの聞いてないよ〜、日本には斉唱の譜面渡しちゃったよ〜と嘆く私。 二人ともメールではほとんど返信せず、実際会って話すとトントン拍子に進む典型的な例なのでした。
30日 12月 2018
「行きましょう!ラクイラの人たちと交流したいと仰っている方にお声かけしてみます。誰でも聞いたことのある日本の歌を選びましょう」 こうなったら合唱団が結成できなくても、イタリア国内に既に在住の方数名だけでも、現地の合唱団に混ざって1曲でも2曲でも歌いたい人を探すつもりだという私に手を差し伸べてくれたのは、元々このお話に興味を示しピアニストとして同行を予定なさっていた舞美さんでした。 いつも優しくて回りの気持ちを優先なさる穏やかなお人柄に、熱い思いと意志の強さを秘めた尊敬する女性。 思いつきで突っ走ろうとする私を穏やかにたしなめて現実に戻し、うまくいかなくて放り出そうとすると粘り強く解決策を見つけ諭してくださる貴重なパートナーです。 こうして日本からイタリアに渡る15名のグループが結成されたのでした。
31日 10月 2018
またもや縁結びの神様の粋な采配?!? 大きくなってからは数年に1度会うか会わないかくらいだった従妹が応援に来てくれることになりました! 学生時代からパンクバンドに夢中だったTAMAちゃん、夢を諦めない粘り強さがここ数年実を結び始めています。 バンドの5周年記念コンサートのお知らせを受け取ったのは奇しくもラクイラで来年の準備中のこと。今年は北米やロシアでもコンサートをしたと聞いていたので「ラクイラにも来ない?」と気軽に声をかけてみました。 聞けば彼女たちは支援が下火になってしまうと言われる3〜7年目にかけて東日本へのチャリティーイベントを行ってきたとのこと。ここでラクイラに繋げ、さらにはオリンピックで埋もれる懸念がある東日本の10年後に向けての活動に繋げたいと頼もしいお返事が返ってきました。 ラクイラと日本、きっかけになる要素が増えるほど出会いの数も増えるはず。 一緒に元気を届けましょう!
21日 10月 2018
書面をもらってから春が過ぎ夏が過ぎ…。 合唱団の結成は難航を極めています。 この10ヶ月、焦りや迷いを感じながら見守ってきたツアー結成が難しくなってきました。 時間を割き、情熱を傾けて下さった方々には改めて感謝したいと思います。 そして改めて初心に戻り、小さくとも現地の人たちと身近に関われる形で仕切り直したいと思います。 間に合うといいのですが…
13日 7月 2018
うまくいくときはすべてが… 一時はどんなに頑張っても何かが足りなくて実現できなかったのが、またもや須賀川コネクションのおかげで映写会まで実現できそうな運びになってきました。 火祭りによる交流がご縁で出会った友人たちのおかげで「ショートフィルムをモティーフにラクイラと東日本を」という願いが再浮上。 会話の中で、須賀川国際短編映画祭で上映された「須賀川、復興への歩み」を知り、これをラクイラで上映したいという思いつきに友人たちを通して市役所や実行委員の方々が協力してくださって撮影なさった金山芳和監督の快諾とご協力をいただけたのです! センセーショナルな映像が伝える表面的な損傷以上に、人々の心が負った痛みや日常生活で続いている状況が淡々と事実を伝える画像や語りから伝わってくる作品、鑑賞する者ひとりひとりに受け取り方が委ねられたドキュメンタリーフィルム、イタリアで出会う人々が礼賛する日本の免震構造が確実に捉えられている場面。ラクイラ震災から9年、ラクイラ震災から9年、東日本震災から7年が経過した今だからこそ見ていただきたい作品です。
01日 7月 2018
東日本大震災の後、会津伝統工芸の起き上がり小法師が世界を回る大きなプロジェクトの記事に興味を持っていました。 身近で象徴的なプログラムが素晴らしくて、ずっと心に残っていたのです。 今回、不思議なご縁で出会えた須賀川の友人たちのおかげで、須賀川といわきの方々からご協力いただき、お子様たちを中心に色付けしていただく小法師100個をラクイラでお披露目する計画をスタートできることになりました! 似た体験をしてしまった福島の人々が祈りと笑顔を込めるひとつひとつの小法師が、ラクイラの子供達に届いて未来につながりますように。
27日 12月 2017
実際赴いたアンドレアお手柄! よそから新たな司祭が赴任したのではなく、すでに居た神父が司祭となっていたことがわかりました! 新任神父は陽気で親しみのあるお人柄、年内に書面を得なければと駆けつけた私に「この祭壇はひな壇に使っていい」「先日ゴスペルのコンサートをした時耳障りだったからアンプは使わない方がいいよ」「コンサートはミサの後の方がいい。ミサの前は私もナーヴァスになるし、30分で終わらせるからその後急いで設営したら18:30には始められるだろう。信徒たちも残って聞いてくれるだろうしね。」などなど積極的にアドバイスしてくれます。 コンサートの日時もすんなり決まりましたが、一年以上も先のカレンダーはまだ届いておらず、「神父の言葉以上に確かなものなどない」と言うイタリア人たちの言葉に反し「日本は書面がないと動けない」と窮する私。 「じゃあ私が教会のレターヘッド入りで書いてあげよう。何て書いたらいいのかな?」と限りなく協力的な神父様なのでした。

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